about 上問屋資料館(旧手塚家住宅) -問屋場と問屋-

旧上問屋手塚邸、現在の上問屋資料館は、旧中山道の宿場町・奈良井宿で、江戸時代の最初期から明治の最初期に至るまで問屋・庄屋として機能していました。
奈良井宿自体が国(文化庁)の「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定され、保存の対象となっていますが、その中でも上問屋資料館は、元櫛問屋中村邸と並んで国指定重要文化財に指定されています。
上問屋資料館の言う「問屋」とは、現在一般的に言われる卸売業者、取次業者、運送業者等々のことではなく、宿場町において公営の人馬継立を担った組織、すなわち問屋場を指します。人馬継立とは宿場町間の馬・人に関する交通取次のことで、問屋場は「人と馬の宿場町でのリレー取次」を業としていました。
「問屋」のルーツは、鎌倉時代に発祥したとされる「問丸」にあります。
問丸は元々荘園領主の支配下で商品の中継ぎ・委託販売・運送業などを営んでいたところ、やがて荘園領主から独立すると、続く室町時代には年貢の売却や金融業にまで手を広げた「問屋」に進化します。貨幣経済の発達が問丸を生み、やがて「問屋」への発展を促した形ですが、江戸時代に入ると「問丸」や「問屋」が元々持っていた運送業的な性格に特化した「問屋場」が誕生し、幕府に直轄されました。
国内の物流そのものを「問屋場」が独占したのではなく、公的に利用可能な人流・物流ルートが「問屋場」によって確保された形ですが、同じ奈良井宿の中でも「元櫛問屋中村邸」が櫛の問屋であることに対し、元手塚邸の方は人馬継立を業とする「上問屋」として営まれたという違いは、ここに生じています。
問丸が問屋へ、そこからさらに問屋場と問屋への分岐が発生したというあたり。
鎌倉・室町と成長してきた日本社会が江戸期を通じて大きく飛躍したことが窺える興味深い変遷でもありますが、やがて「問屋場」にまつわる旧制度は、経済規模の拡大や経済構造の変化を理由として維持困難となり、最終的には明治の世で廃止の時を迎えます。
どのみち避け得ない未来ではあったのでしょうが、経済・社会とも深く関わる交通インフラにまつわる部分については、「上部の近代化」を推進した文脈の中ではなく、江戸幕府が残った(=日本史が分断されなかった)世界線の中で「抜本的な構造改革」を見てみたかった部分でもありますね。
余談として、元々卸売的な仕事を営んでいた問屋は、江戸中期にはたとえば江戸の「十組問屋」ないしは大坂の「二十四組問屋」に代表される「問屋」となります。彼らは今日日の卸売業や物流業のルーツであり、時に「仲間」を形成し、江戸期の社会・経済に大きな影響力を持ちました。
仲間とは利益団体ないしは同業者組合のことで、やがて幕藩体制の安定等々が動機となる形で幕府にも容認されるのですが、日本史の教科書でお馴染み「株仲間」とは、特に幕府に公認された「営業の独占権=株を持つ仲間」のことを指します。
◾️関連リンク
Guide
- 【19年青春18きっぷの旅/2026リマスター】旧中山道の宿場町、奈良井宿着(JR中央本線、奈良井駅傍)
- 【19年青春18きっぷの旅/2026リマスター】旧中山道・奈良井宿 -上問屋資料館(国指定重要文化財)-
- 【旅と日本史】街道整備と江戸時代の旅(五畿七道、五街道、脇街道)
Info
- 奈良井宿観光協会公式サイト“上問屋資料館“
- 文化庁公式データベース・手塚家住宅 “主屋“、”別棟座敷“、”土蔵“
- 文化庁公式サイト “伝統的建造物群保存地区“、”塩尻市奈良井・木曾平沢(長野県)“
上問屋資料館へ
入口付近

明治維新後、明治天皇が中山道沿いの地を巡幸された際は上問屋手塚邸に行在されたようで、

施設前にはそのことを記念する石碑が立ち、施設内には今も当時の部屋が保存されています。
館内へ

表玄関から入ると奥方向に広がりがあり、最奥部には庭が用意されている他、

奥への渡り廊下の横には、

小さい中庭が用意されていて、渡り廊下も回廊状になっています。今見てもかなりおしゃれな空間です。

同じく奈良井宿で国指定重要文化財となっている「元櫛問屋中村邸」にもありましたが、今も実用として残されている二階への階段(結構急角度です)は、横から見ると箪笥として機能しています。

外から見えにくく、中からは外の様子を伺いやすいという格子窓は、

元手塚邸(上問屋資料館)の他、同じく重文となっている中村邸をはじめとして、他の家屋でも取り入れられています。
明治天皇行在所

明治天皇御巡幸の際、奈良井宿の上問屋資料館のこの部屋で、新鮮な岩魚の塩焼き等が献上された様子が説明されています。

今日日の感覚で室内の様子だけを見た場合、一見普通の和室に見えたりもするのですが、そもそも部屋自体が一段高いところに用意されています。

行在所となるにあたって部屋自体が改装されたようですが、

行在所となったあとは当時のまま保存されているようで、

室内には、明治天皇と昭憲皇太后の御真影も残されています。

