about 鎌倉大仏殿高徳院
鎌倉大仏殿高徳院(大異山 高徳院清浄泉寺)は、「鎌倉の大仏」を本尊とするお寺です。
言い方を変えると、「鎌倉の大仏」は高徳院(という浄土宗のお寺)の境内にあります、ということでもありますが、最寄り駅は「あじさい寺」の長谷寺と同じ江ノ電の長谷駅です。
長谷寺に比べると、駅からの距離が少々あります(徒歩5分程度)。
高徳院の開山・開基は共に不詳(後述)、1252(建長4)年に造立が始まったと伝えられる(※1)現在の大仏も、制作者や制作過程については不明な点が多いとされています(※2)。
当初は堂宇(大仏殿、仏堂)に収められていたとされる大仏は、14世紀に相次いだ大風、および1498(明応7)年発生の明応地震被災などによって、概ねこの時期を通じて露坐になったという記録が『太平記』及び『鎌倉大日記』に残されているほか(※3)、津波によって堂宇と共に大仏も流されてしまったという実しやかな俗説も残されています(※4)。
大仏にまつわる「不明点」の多さや話の尾鰭の広がり方などは、有力な史料の一つである「鎌倉大日記」の信頼性が微妙であるため、そこから広がる伝承について詳細な検証が必要とされる点に依っています。
◾️関連リンク
Guide
- ※1:『吾妻鏡』の記載によっています。
- ※3:1334(建武元)年及び1369(応安2)年の大風、さらには後の明応地震によって堂宇が倒壊したという『太平記』と『鎌倉大日記』の記録が、高徳院公式サイトで指摘されています。
- 【鎌倉街歩き/街歩きと鎌倉史】鎌倉五山と五山・十刹、山号の歴史(五山のルーツと成立、開山・開基)
Info
- 鎌倉大仏殿高徳院公式サイト “鎌倉大仏と高徳院“(※2)
- 国立公文書館デジタルアーカイブ “鎌倉大日記“、”太平記“
- 「神奈川県温泉地学研究所観測だより」第 63 号(2013年)「鎌倉の明応津波〜大仏殿は流されたのか? 」(※4)
- 「歴史地震」第29号(2014年)「鎌倉における明応年間の「津波」について」(※4)
鎌倉の大仏
高徳院・境内へ

大仏殿の入り口付近から。

境内には高徳院が属する宗派である浄土宗の由緒書きが提示されていますが、ここで明記された「1175年」は、浄土宗自体の開宗年を示しています。
これに対して高徳院自体の創建年は「大仏造立の開始年」に設定されることが一般的で、初代の木造大仏造立が開始(大仏造立事業が開始)された1238年、ないしは二代目大仏(現在の銅造大仏)の造立が開始された1252年がしばしば取り上げられます。
これは、沿革の大枠が判明している大仏に対し、高徳院(お寺)の創建事情については未だ不明点が多いため、暫定的な措置として「大仏の始まりがお寺の始まり」だと解されていることに依っています。

境内図の様子から、大仏は境内のど真ん中に据え置かれていることがわかりますが、

入り口入ってすぐのところから、そのまま真正面に姿を拝むことが出来ます。

付近には、タイ王国皇太子殿下による記念植樹も残されています。
◾️関連リンク
Info
- 鎌倉観光公式ガイド “高徳院“
鎌倉大仏

間近から見るとさらに迫力が増す大仏様は、

後ろに回ると、背中に窓が付いていることが分かります。
大仏の胎内

ということで、早速大仏様の胎内へ。

入口をくぐって進むと、

丁寧に作られていることが伝わってきますが、

現在は耐震補強も施されているようです。

背中の窓も、内部から確認できます。

