about 建長寺
沿革 -建長寺と臨済宗-
鎌倉五山第一位の建長寺は、日本で初めて「禅寺」と称された臨済禅(臨済宗 ※1)の専門道場です。
命名は、時の元号である「建長」に由来します。
当時「地獄谷」と呼ばれていた刑場跡地に、建長5年(1253年)、創建者である鎌倉幕府の第五代執権・北条時頼の招きを受けた南宋の禅僧、蘭渓道隆が開山しました(※2)。
臨済禅(臨済宗)の世界では、正しく座して身・息・心を調和させ(坐禅)、「公案」と呼ばれる禅問答を参究、「自己の本性を看破して大安楽の境地に至る」(※3)ことを目的としますが、蘭渓道隆は建長寺において1000人を超える僧を指導したことから、後宇多天皇(※4)から日本初の禅師号(禅僧の尊称)である大覚禅師という号を贈られています。
現在、北条時頼の墓所は同じ北鎌倉の明月院に、蘭渓道隆の墓所は建長寺境内の「西来庵」(非公開)に、それぞれ置かれています。
◾️関連リンク
Guide
- ※1:臨済禅(臨済宗)とは唐王朝時代の中国にて成立し、のちに南宋から鎌倉時代の日本へと伝わった仏教宗派の一派です。禅宗とは曹洞宗・臨済宗・黄檗宗の三宗をまとめた通称名です(黄檗宗のみ、江戸時代に伝来)。
- 【鎌倉街歩き/街歩きと鎌倉史】鎌倉五山と五山・十刹、山号の歴史(五山のルーツと成立、開山・開基)(※2)
- ※3:臨済宗摩頂山國泰寺 “臨済宗の教え“より引用
- ※4:後に建武の新政を進めることとなった後醍醐天皇の父にあたる天皇です。
- 【鎌倉街歩き/鎌倉三十三観音】明月院(JR横須賀線北鎌倉駅下車、あじさい寺)
Info・参考資料
建長寺と鎌倉学園

県道21号線=鎌倉街道沿いすぐのところに位置する建長寺の駐車場左隣には、鎌倉学園(中学校・高等学校)の校舎があります。
サザンオールスターズ・桑田佳祐さんの母校として有名な他、若田部健一投手、長田秀一郎投手等を輩出した、高校野球の強豪校としても知られている学校ですね。
建長寺に隣接するように作られている理由は、1885(明治18)年に作られた「宗学林」(建長寺の修行僧のための学校)が前身にあたるためです。現在は特に禅宗主体の教育は行われていないようですが、「宗学林」時代の名残からか、今も建長寺の境内に自由に出入りできるよう校舎が作られています。
建長寺・境内
総門へ

鎌倉街道に面した入口からは駐車場の様子が見えるのみですが、

建長寺は境内の奥行きがものすごく深いため、JR北鎌倉駅前の円覚寺同様、山門の手前に進むまで内部をうかがうことが難しい作りになっています。

総門は、建長寺の山号からの命名で「巨福門」と呼ばれています。
三門

現在の三門は江戸時代(安永4年=1775年)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。
総門=巨福門の手前からもその様子がうかがえる三門=「三解脱門」の名前には、「この門をくぐるときに心が清浄になるように」という願いが込められていますが、

三門に掲げられた「建長興国禅寺」が建長寺の正式名称で、山号は巨福山です。
建長寺裏手から鶴岡八幡宮方面へ延びた巨福呂坂(鎌倉七切通=七口の一つです)に、この地の古くからの地名である「巨福呂」という名が遺されていますが(現在の、鎌倉市山ノ内の一部エリアです)、「巨福山」の山号はこの地名由来の命名です。
仏殿・法堂

三門のすぐ傍には仏殿と法堂がありますが、仏殿に安置された地蔵菩薩坐像は建長寺の本尊です。
地蔵菩薩坐像の他にも様々な仏像が安置されている仏殿ですが、元々は芝・増上寺(東京都港区)にあった二代将軍徳川秀忠夫人・崇源院の霊屋(死者の霊を祀る堂)が、江戸時代(正保4年=1647年)に建長寺に移築されました。
現在、三門同様国の重要文化財に指定されています。

仏殿のすぐ奥にある法堂は住職が説法するための施設で、江戸時代(文化11年=1814年)に再建された、関東で最大級の木造建築です。

法堂内部の様子です。

天井には雲龍図が掲げられていますが、これは比較的最近(平成15年=2003年)、建長寺創建750周年を記念して描かれたものです。
このほか、法堂のさらに奥には唐門と呼ばれる門があり、唐門の奥には方丈と庭園があるなど、建長寺の境内はさらに奥にも続きますが、このうち唐門は仏殿と同じく、芝・増上寺から移築された国指定の重要文化財です。
境内の一番奥には建長寺の鎮守(守護神)である半僧坊大権現が祀られた「半僧坊」があるほか、半僧坊の奥からは「鎌倉アルプス」とも呼ばれている天園ハイキングコースが始まっています。
◾️関連リンク
Info
- 鎌倉観光公式ガイド “天園ハイキングコース“
建長寺・御朱印

御朱印は、総門をくぐってすぐのところにある建長寺朱印所、および半僧坊朱印所にて、いずれも拝観後に入手可能です(500円、8:30〜16:30)。

